こんにちは。色々と「あー、あの時は失敗したな」「どうして〜しておかなかったんだろう」「あんな声かけしなければよかった」等々、同じ失敗をしないよう反省っていうレベルではないくらいウジウジと凹んでしまう自分が嫌になります。
そんな経験ありませんか?
子供が選ぶようにするとうまくいった
以前から、自分の服を自分で選ぶようにしたり、おやつをカゴの中から自分で選んだり、天気を見て靴か長靴か選んだり・・・。生活のことを自分で決めてもらうようにしていました。そうすると、選んだものが微妙だったとしても受け入れていたんです。
特に、最近の天気だと朝は寒くて昼間は暖かい。この服を親が選んで学校で不都合がおきたら帰ってきからガーガーうるさいんですよ。なので、天気予報を見せ、外の様子を見て自分で判断してもらってました。そしたら、うまくいったんですよね。
「この服失敗やったー」「晴れたから長靴で体育やったー」など、笑って失敗を話してくれたんですよ。
旅先でこそ親は試される
ただ、先日家族でお出かけしました。子供はリュックに着替えを詰め込んでいたのでそれなりに重いです。で、観光地に着いたときに「リュック持っていった方がいいかな?」と聞かれていつもなら「持っていってもいいし、車に置いていてもいいよ」というところを、結構お疲れモードな子供をみて「置いてたらいいんじゃない?」といっちゃったんです。
で、観光地に着いたときに「あ、リュックに入れていたあれが必要」ってなったんですよね。すでに入場料も支払っていたので取りに行くのもためらわれ・・・。
申し訳ない気持ちでいっぱいでした。最初から最後まで本人が決めていたら私も本人もモヤモヤした気持ちは少なかったはずなのに・・・。
後悔しても結果が変わることはない
後から、「もう一度入場料を払ってでもとりにいったほうがよかったかな」「あとからグズグズ言われるなら700円払ってもよかったかも」など(入場料は700円でした)未だにモヤモヤしています。でも、もう帰ってきたのでどうすることもできません。悩んでも仕方ないのです。
夫は「やる必要ない」なんですよね。最終的に持ってこなかったのは子供だから。
私の判断ミスで失敗した場合は取り戻してあげたいけれど
今回の場合は私の判断ミス。旅先といういつもと違う状況で、いつものような判断ができなかった。少しでも楽しい旅にしたい、親の思う「楽しい旅」を当てはめてしまった。忘れ物を学校に届けるのとはちょっと違うレベルの状況。
あの日のことはあの日が終わってしまった段階でもう取り戻せない。今となってはどうしようもない。
結局は後始末を私がするからウジウジ悩んでいる気がする
結局悩んでる理由は、帰ってきてから子供がグズグズいうのが嫌ってのも少なからずあります。帰宅後も夫がいないところでコソコソ私のところに来てグズグズいってましたから・・・それを夫に見つかり正論で諭されまた私の方に来るという悪循環。
夫のいっていることは正しいです。ただ、正論に感情がついていけないだけです。
子供は私が思う以上に成長していた
いろんな正論を聞いても納得できなかったけれど、なんとか妥協点も発見。妥協するときにも色々すったもんだがあったけれど、なんとか落ち着いた予感。
少しの助言から自分なりに納得するように持っていったのか偶然納得できたのかその過程はわからないけれど、親でさえ「くやしー」と叫びたくなることをなんとか納得していっている姿をみると「成長したな」と思った。
まとめ
正論で行動する夫を恨めしく思うこともあります。でも、仕事場では常に重要な決断を瞬時にする必要にせまられています。一旦決断したことをグズグズ悩むのではなく、次に活かすために原因と結果を確認します。これを家でもしているだけなのです。ここに感情をいれるからややこしいのであって、淡々と整理すると問題点も改善点も見えてきます。
私も夫を見習って、感情に溺れてしまうことを減らしたい。負の感情に溺れるとなかなかニュートラルな状態に戻れないから・・・。