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豊岡メソッド 人口減少を乗り越える本気の地域再生手法(DEIのEは公平性だって)

少し前から「アンコンシャスバイアス」や「DEI」「フェミニスト」という言葉を聞くことがあった。でも「私とは別世界のお話」と素通りしてきた。同じように「ジェンダー」と言う言葉も。ジェンダーという言葉はどちらかと言えば忌避してきた言葉かもしれない。諦めと言うか・・・。

「女性活躍」といっても、「田舎では大変そう・・・」と思っていて、それでも豊岡市という決して都会ではない地方での取り組みがどこまで踏み込んでいるのか少し興味がでてきて手に取ってみた。

気がつくと、若い女性たちが、まちからすーっといなくなっていました。

2021年に策定された「豊岡市ジェンダーギャップ解消戦略」の冒頭は、上記の一文から始まったそうです。Uターンしていない若い女性たちの声を聞き取ったところ「男性中心社会への嫌悪感」があることがわかったそう。

これを読んで思ったことは「いや、それ、20年前もそうだから」と思った。でも、20年ちょっと前の私にその質問をされたとしても「仕事がないから」と答えていたと思う。本当は田舎の風習が嫌だからと言いたいけれど、それをいうのははばかられた。

母親が苦労しているのを目の当たりにしていて、でも私がそういうことをいうと「母親がちゃんとしつけてないから」と言われるのも目に見えている。だから、そこじゃない理由にしないといけないことはわかっていた。

私自身の実家は豊岡市よりももっともっとド田舎で、集落で力を合わせていかないと生活自体がままならない地区だった。そんなド田舎から跡取り娘である私が嫁にでてしまったので、約20年たった今でも母は祖母からちくちくやられている。

今の若い世代は「嫌悪感」なのかもしれないが、私は「諦め」だった気がする。

今は、少しずつ女性は情報を出せているのかもしれない。それか外から来た人が代弁してくれているのかもしれない。

女性職員はこれまで様々なものを断念してきた

ジェンダーギャップが問題なのは、公正さにかけているからなんだと。市役所の男性職員は家事や育児を妻に任せっきりにして、職場では女性職員に補助的な役割に追いやる文化に寄りかかって、いろんな部署を回ってキャリアアップしてきた。その挙句に「女は伸びない、成長するのは男だ」と言ってきたわけです。これはフェアプレーとはいえない。

これを男性が言葉にしたことはとても大きいと思う。

断念するのが当然だと思っていたし、結婚してうまくやっていくにはそうするしかないと教えられてきた。それは、母親から娘へのライフハックの一つだったのだと思う。

だから男女が同じように働く教員にはならないほうがいいと言われていた。なぜかというと嫁ぎ先からは歓迎される職業ではないと言われていたから。でも公務員と言うことでなぜか許される職業。女が結婚しても続けやすい職業は田舎では公務員くらいだった。

ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン(DEI)

ダイバーシティやインクルージョンと言う言葉は聞いたことがあったけれど、エクイティというのは知らなかった。DEIと聞いてもDIYの仲間かと思うくらい何のことかわからなかった。

公平性がどういうことかもわからなかった。それでも具体的な例が示されると「確かに」と思えることがたくさんあった。だからといって今、女性が声をあげても何かかわるんだろうか。仕事の場では女性の手がける範囲が広まることは人手不足の今歓迎されると思う。でも、仕事を終わって自宅に帰ったときに、今までは出された食事を食べてお風呂に入って寝るだけだった人が、食事を作ったり片付けをしたり、洗濯をするということに気がついて行動をおこしたいと思うだろうか。

結局はここなんだと思う。説得するのではなく納得してもらう。私の身近なところでは次の世代に持ち越しかな。

オッサンたちによるオッサンたちのための仕組み

地域の中での話で、祭りの話題がとてもわかりやすかった。

祭りでは各隣保ごとに接待スペースがあって、飲んだり食べたりすることができる。しかし、飲んだり食べたりできるのは男性だけで、女性は準備と接待と片付けに追われる。「いやだ」というと村ハジキにされるから家庭では、男は女をなだめつつやり過ごしているのではないかという。そして、これを娘がみてどう思うか。

私の実家付近でもこういったことはあった。男性の飲み食いの食事を作り接待をし、片付けまで女の役目。それでも、そこでお互いの事情をわかりあって小さな村で助け合って生きていくということもあったのだと思う。自営業が多かったので嫁が外に出られることも少なく、今のように携帯電話もない。嫁たちが他人とゆっくり話せるのがそういう機会しかなかったという辛い事情もあった。

そんなとても古い風習の中で「オッサンたちによるオッサンたちのための仕組み」と男性が言葉にしたことが衝撃だった。すぐに変わることではない。どこかに書いてあったけれど、息子や娘世代に対しては厳しく接してしまうけれど、孫世代には柔らかくなる。もしかしたら、孫世代がすーっといなくなってしまったことを感じて、危機感をもってくれたのかもしれない。

孫の存在は大きい。

ただ、男性にそういった役割を押し付けてきたのは女性だ、という意見もあった。確かにそうだ。女性がでていっても「でしゃばり」とか「目立ちたがり」とか陰でいわれるのはしんどい。だから男性に押し付けていることは自覚がある。

色々過渡期なんだろうなと思う。私にできることは邪魔しないこと、応援することなんだろうと思う。

「自信がない」「やりたくない」という女性の発言の背景に、どのような社会的問題が横たわっているのか

言葉通りに受け取ってはいけないというけれど、これらの言葉の背景には言葉にしにくいことが詰まっていることがある。言葉にしてしまうと、どうしても誰かを否定してしまうことになる。でもそれはその時代には当然とされていたことで、少しずつ変わってきているのだ。それもわかっているからなおさら言葉にしにくい。でも言葉にしないとわかってもらえない。(もちろん、自信がない、やりたくない、言葉のままの時もある)

UターンやIターンの人が多くなって外部の力を借りるというのは大きな助けになると思う。他力本願で申し訳ないが・・・。

その地区にどっぷりつかって生活をしていると、もう言えない。舅姑の不満に聞こえたり地区の不満に聞こえたりしてしまうと、生活に支障がでることが怖い。

それでも、地区のこれからの若い人は応援したいと思う。

おわりに

ジェンダーギャップ解消は、過去の社会のありようや人々の生き方を否定するものではない。産業構造や人口構成の変化に対応しながら、全ての人にとって生きやすい社会、持続可能な地域社会を作っていくための取り組みだととらえています

とはいっても、どうしても否定されている気持ちになると思うし、責めたい気持ちにもなると思う。例えば、氷河期世代に対しての声を見る限りそう思ってしまう。氷河期世代の私にとって「きちんと計画して就職活動しなかったの?」という言葉はグサッとくる。当時は就職試験を受けられるだけでありがたいという時代だったんだ・・・でもそれをいうと言い訳のように聞こえてしまう。

だからこそ、否定するものではないということを肝に銘じないといけないと思う。つい言ってしまう不満がグサッとやっているかもしれない。不満でなく意見を言うんだ。無言の意思表示でなく、これからの人の為に、そして将来の自分の為に必要なのは意見だ。

この社会で生きていくんだから。

田舎でDEIって言われても・・・と言う人に是非。

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